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よろこんで!臥薪嘗胆の日々

2005年のアメリカ留学中に、日本での政治活動を振り返り書き綴ったものです。

ちょうど30歳になった1987年から6年間で市議会・県議会を含め4回の選挙を行い一騎に国政まで駆け上がった。その後三期10年国会で活動してきたのだからすでに一般的な人生とは言えないのかもしれない。

しかし、私は元国会議員の肩書きで第二の人生を歩く様なことはしたくない。

勿論、自分にしか出来ないことを行うには今までの経験を生かしての事だが、常に前に向かって自分の役割をはたして行きたいと祈っている。

夢を描いた民主党立ち上げ

1996年、国会議員3年目のわたしは鳩山由紀夫氏と共にさきがけを離党、他に梁瀬 進氏・五十嵐文彦氏・海江田万里氏らが参加して政権交替を目指す政党「民主党」の立ち上げをおこなった。
後に、H・I・V問題の対応で一躍時の人となっていた菅直人氏の動きを確認して、多くの若手と元社会党の議員が雪崩れをうった様に流れ込んできたのだった。

その年の総選挙に千葉県5区(市川・浦安)で勝利し二期目に入った私は、自らの考えで若い候補者で残念ながら落選をしてしまった選挙区を訪ねて歩いた。そして、彼らから色々な意見を聞くなか、民主党・若手の会を作ろうと考え東京に戻ってきた。
まもなく、樽床伸二氏や松沢成文氏らと相談をして、若手の議員による勉強会「ダッシュの会」を設立。初代会長に樽床伸二氏、わたしは事務局長を務めることとなった。実はこの動きが民主党の若手を無視することができない存在へと押し上げて行くことになる。
この会が足がかりで代表選挙に松沢氏が立候補した際は、私が事務局長を務め、菅氏を相手に善戦。結果、「ダッシュの会」会長樽床氏が執行部役員に抜擢されたのだった。

議会内における政策では、青少年問題特別委員会の野党筆頭理事として「児童虐待防止法案」を独自に作成し、その法案をカードに与党と共に関係省庁を説得して成立させこの分野の扉を開かせた。
また、警察官僚を相手に風俗営業法の改正の法案を作り、野党議員では珍しく自民党の地方行政部会に説明者として出席する異例の中、これも成立させることが出来た。

その他、歴史に学ぶために真相究明法案(継続審議)・18歳選挙権を実現するための法案・自動車のヂィポジット法案等を作成したのもこの時期だった。
忙しかったが2期目は本当に充実していた。なによりも事務所のスタッフがフル活動で頑張ってくれた。心から感謝をしている。

民主党離党の本当の理由

事件は三期目をむかえて間もなく起こった。
20世紀から21世紀に架けての世紀越えに、私は政権奪取運動委員会の委員長として全国47都道府県を訪ね、それぞれの選挙区の議員・候補者と街頭演説を行っていった。
しかしこの活動で私は一つの問題を感じるようになっていた。

それは、どの県に行っても民主党の役員の多くは元社会党員であり、労働組合によって街頭演説の場所に動員がかけられているということがハッキリ見えてしまつたのだ。
彼らは疑問を持たないのだろうが、私にはその事がとても気になった。

追い打ちをかけるように、その直後おこなわれた足元の千葉県の知事選挙で、民主党本部は自治労推薦の知事候補を擁立してきたのだ。
正直私は迷った。常に、業界・団体・労働組合(特に官公労)とのもたれ合いを問題視して選挙を戦い、時には、利益誘導を求める自らの後援会幹部とも対立し、後援会活動を停止してまでも市民が認める政党や候補者の姿勢にこだわってきた。
なぜならば、選挙の時に出来上がってしまったしがらみが、その後の活動に限界を作ってしまうからに他ならない。そして、いずれはその事が民主党という政党の限界となってしまうからだ。

決断の時

自治労という組織にキモを握られている候補者では公務員の削減も外郭団体の整理も難しい。そして、それが分かっているのに有権者に推薦することは出来ない。 さらに悩ましいのは、候補者の一人堂本暁子氏は私と同じように、業界・団体そして労働組合からも推薦を受けることなく市民である千葉県民と共に戦うと宣言していることだ。

私は本当に悩んでいた。

しかし、選対会議で私の言動に非難が集まった時の出来事が私を決断させた。
心の底から情けないと感じる事があったのだ。
「なぜ、本気で応援しないのか?」と組合系議員と一緒になって私に問いただす元新進党議員に釈然としないものを感じていた。よく考えればそれもそのはず、前回の選挙では公明党・創価学会に頭を下げ支持してもらっていた人が、舌の根も乾かないうちに今度は労働組合と一緒に平気で選挙を戦う姿を見たのだ。

この体質は、以前決別した小沢自由党と再度合流した現在の民主党にも言えることで、矛盾点が必ず見えてくるだろう。
業界・団体、労働組合・宗教法人の推薦をお断りして立候補した私を、応援してくれた十万人を超える人たちは自分が選んだ政治家がどのように行動するかを見ている。労働組合のもたれ合いに飲み込まれるのか、それとも「おかしい」と感じることに行動で示してみせてくれるのかを・・・。
武村正義氏・田中秀征氏にお世話に成りつつも新党さきがけを離党して、こういう政党を創ろうとしたわけではないはずだ。
「すこし変だなと感じたことは、じつはうんと変なのだ」

時間が掛かっても自分の信じる道を歩んでいこう。民主党公認の知事候補者が応援できないならば「離党」して考え直そう。

見せしめ

離党は結果的に堂本候補の応援となり、自民党と民主党の間隙をぬって千葉県初の女性知事が誕生した。長い間つづいた自民党王国にしがらみを持たない無所属のリーダーが選ばれたのだから県民は心から喜びんだ。そしてマスコミ的にも随分と話題になった。
私のとった行動は菅氏から「A級戦犯だ」と切り捨てられ、民主党は離党届を預かりとした後に除名処分の対応をした。組織より自らの判断で行動した事に対して、見せしめとしたのだろう。

その後も執拗に田中に対する追い落としがつづき、インターネットで「民主党の獅子身中の虫」と評論家に言わせたりもしていた。
たが、私は決してそうではないと信じすべての対応に耐えてきた。

この出来事から4年後の2005年、民主党は千葉県の知事選挙に独自候補を立てることなく、結局現職の堂本氏を推薦し、応援したことを何と説明するのだろうか。

この考え方は、候補者が手段でいかに権力にちかづくということが目的になっている。この判断の基準からすると、僅差で続投となった現職を本気で支えるか疑問だ。

自由民主党からの誘い

民主党をはなれてから、自民党のおおくの方々からお誘いをうけた。議員会館の部屋に呼ばれたり、議長公舎、総理官邸でも話を頂いた。
超党派の議連活動や2002ワールドカップの役員としてお付き合いするなか、皆さんのことを知っている。気に掛けて頂いて本当にありがたい。また、地元でも元々保守系のわたしに、「自民党に戻ってきてもらえばいいのだが」というけが随分と出ていたようだ。
両親もそれを望んでいた。

自民党としては、市川市・浦安市という千葉県の都市部小選挙区で当選する可能性が高い候補者と見ていたのだろう。条件はそろっていた。
しかし、その期待に応えることは出来ない。
なぜならば、どうすれば日本が変われるかと悩み・考え行動し前に進むことが必要なのに、後戻りすることはわたしの選択肢のなかに存在しない。自民党の千葉県青年局長を30代前半で務め県内をくまなく回った。食わず嫌いでなく自民党の体質はよく知っている。
戻る理由があるとしたらそれはただ一つ「当選したいから」だけである。

私は「無所属の会」に一宿一飯の世話になろうと思っていたのだが、残念ながらここにも既にてがまわっていた。当時会に所属していた中田 宏氏が「自分は民主党と会派を組んでいるから、民主党を離党した甲さんに入ってもらってはこまる!」と言いずらそうにして、まるで誰かに頼まれたように伝えてきたのだ。 正直なところ完全無所属になると制度上選挙活動に制約が出来、政党助成金も出なくなってしまうが・・・未熟な自分が逆に自分の考えをまとめてみる良い機会をもらったと前向きに受け止めて一人旅に出てみる事にした。

政党・ひとり

この国の何が最も問題なのか、自民党に変わって野党が政権を取ればほんとうにこの国は良くなるのだろうか。自民党も業界・団体としがらみを絶つことが出来ないが、民主党も官公労という巨大な税金を必要とする足かせを架せられてしまっている。
どの党からの制約がない私は、もっと日本という国のシステムを理解して、問題の核心を射抜いた政策を作り上げていきたい。
そんなことを言っても「一人で一体なにが出来るのか?」とおおくの人から聞かれる。自分自身でも一人の限界について自問自答を繰り返ししてきた。しかし、すべての始まりは志を持った数少ない者によって行われてきたのではないだろうか。
維新の志士たちが藩を脱藩して幕府を倒し新しい時代を創り出したように。また、戦後の日本が軍国主義から、まがいなりにも民主主義国家としてスタートしたときのように。

今の日本も官僚主導の統制国家から、個人の自由を基本し、出来るだけ規制が掛からない国にしなければならない。また、官僚に因る予算の隠蔽や財団・特殊法人へのたれ流し改め、新しい小さな政府を創り出しその結果税金は減税すべきである。
そのためには、何もしがらみを持たずに、本音で発言が出来る立場でいなければならない。
わたしが、ほかのひとには持っていないモノを持っているとするならば、それは6年間の間地方議会を、また10年間の国会議員の経験を若くして経験してきていることだろう。そしてその間、日本を取り巻く現状を知れば知るほど、問題の核心の議論がなされずにいつも先送りされていることを知ってしまったのだ。

私はそんなに不器用な人間ではない。議席を守り、役職を得ていく方法は知っている。しかし、それをやろうと思わなくなるほど政治が腐ってしまっているのだ。

国が崩壊に向かっていることを知っている政治家や官僚が、見て見ぬふりをして国民に伝えずにいることを将来、歴史はなんと評価するだろうか。

白鳥はかなしからずや空の青、海の青にも染まず漂う(若山牧水)

言うならば私も白鳥の心境と言うところだろう。

理念・政策づくり

政治家が何のために議席を預かり、どのような目的にむかって活動していくのかを明らかにすることはとても大切なことだ。
大きな政党に所属していると、政党の掲げている政策を説明することが政治家の街頭活動や政治活動になってしまう。それは、決して間違ったことではないが本当に自分自身がやりたい政策は何か、さらにその理念とすることは何かを各人が確認する必要があるのではないだろうか。
私の理念は「命を尊ぶ」ということである。

人の命だけではなく、生きものを産み育む「自然全体を命と捉え」尊んでいかなければならない、突き詰めれば「政治とは命を守ること」だと受け止めている。 党名は「尊命」と書いて「タケル」と読ませた。どちらの字にもみことの意味があり、「尊」は一文字でたけると読む。一人でも戦い続け、後に白鳥に化身する伝説の人物。日本人なら多くの人が知っている響きを選んだのだ。その後、この政党名が右翼的だと言われてしまうのだが、日本人としての誇りを持ち命を尊ぶ事は変わらぬ思いである。「理念は日本人が命の尊さを世界に伝える」日本尊命(やまとたける)である。

政策の作成には随分と時間が掛かった。ひとつひとつ文言の確認と数字の裏付けをして行かなければ政策を立てる事は出来ないのだから。
まず、目指す社会の姿を示さなければならない。そしてそのための具体的なプロジェクトを「新日本・フロンティアプロジェクト」と名を打ち8項目掲げた。次に、「日本経済再生のための25のプログラム」を同期の衆議院議員であった故石井紘基氏の貴重な研究の成果を基にまとめさせてもらった。しかし今ひとつインパクトに欠けるのはなぜかを考える、冒頭に「現在の日本を覆う7つの危機」をハッキリと伝えるべきなのだろうと、

  1. 国家破産の危機
  2. 経済の失速
  3. 治安に悪化(人身の荒廃と犯罪激増の危機)
  4. 戦争への危惧
  5. (年金医療問題による)生活の不安
  6. 教育の荒廃
  7. 環境の破壊 を書き加え、全体のタイトルは「新世紀・日本の創造」と決定した

このマニフェストは、中田宏氏の市長選挙・松沢成文氏の知事選挙のマニフェスト作りの中心人物でもあった日本政策フロンティアの小田全宏代表と何ヶ月もかけて作りあげたものだ。機会があれば私のホームページに掲載してあるマニフェストを見て頂ければ大変に嬉しい。

落選そして・・・出逢い

振り返れば総選挙が行われた2003年の秋に近づいているのに、マニフェストづくりに没頭しているようでは選挙の準備もままならない。ましてやマニフェストを基に同士と共に新党を立ち上げようと言う考えには無理があった。しかし、せめて政党に所属せずに戦おうとしている全国の候補者に役割の共有と選挙後の連携の呼びかけを、マニフェストの発表と同時に記者会見会場で行った。
1993年の自民党の分裂によって細川政権が誕生。政権交替が可能な小選挙区を導入したものの、政策なき野党寄せ集めに姿では、とてもではないが日本社会の本質に切り込んでいく鋭さは持ち合わせていない。
選挙戦に突入してからは必死にその事を街頭で訴えた。
特に官僚によって逆マネーロンダリングとも思える一般会計予算の大半を特別会計という裏帳簿に入れ、国民にも議会にも見えない闇の世界で毎年330兆円との言われている利権の巣窟をつくりだし、子供たちの将来を食いつぶす「大きな政府」を作り続けてきた過ちを伝えてまわった。
政治家になって2000回以上も街頭演説をおこなって来た私には相手に伝わっているかどうかはすぐに分かる。二大政党の流れに棹さす無謀な戦いの認識もしたが、どちらの旗も持っていない候補者に多くの人が足を止め頷き、しっかりとした拍手を与えてくれた。
結果は「落選」。民主党にいたときに比べ6万票減らして、自民・民主両党の若手候補に破れてしまった。
7回目の選挙で初めての落選。ショックがないと言ったら嘘になる。しかし私に投票をしてくれた4万1千人を超える人たちに心から感謝したい。そして、負け惜しみではなくこの選挙が教えてくれた事は当選を続けていることよりも何十倍もの価値があると受け止めている。

とは云うものの、これから何をしなければいけないのか、逆になにをしてはいけないのか。46歳で岐路に立たされた事を心から幸せと言える様にしたいと祈る思いで随分と悩み考えた。
そんなある日のこと一本の電話が掛かってきた。「君が落選してスタッフと一緒に喜んだんだよ!」「本当によかった、今度食事でもしながらゆっくり話そう」実に嬉しそうに話し掛けてくるのだった。最初は正直、ムッとして聞いていたのだが、「時間が出来たということは素晴らし事だ」という言葉に、はっと我に返る思いがした。

忙しいということは、視野を狭くして時間や物事に流されてしまう。日本の本質的な問題点を理解しようとするならば権力の構造から離れて、渦に巻き込まれないような場所に身を置いて見つめる必要があるのだと言う。
その後は毎週のように会いながら、私が国会の仕組みや、議会の出来事を伝え彼がそれを分析して行くのだ。特に歴史的な出来事から、同じ過ちを犯そうとしている日本の姿が手に取るように理解出来る。
例えば、徳川時代からの統治方法。軍官僚と現在の官僚の類似点。また、時代の転換期に於ける日本的法則。実権が見えなくなる権力の二重構造。日本人の共依存体質。日本文化と官僚文化の違い。議論の罠、など書き出したらキリがない程話し合ってきた。参考に成る本も紹介されてたくさん読んだ。また、外から日本を見ることも大切なことだと、一緒に海外にも行った。
そして、
私が議員活動のなかで肌に感じ訴えていたことは、「決して間違ってはいなかったのだ」という確信を持つことが出来た。

官僚主導国家の弊害

組織のなかで指示を受け黙々と働く最も優れている人材が東大法学部卒業を頂点とする官僚だろう。その多くが小さい頃から親に厳しく「勉強しろ!」と言われ、あるいは無言の圧力をかけられ親に甘えることのないままに「親子の絆」ではなく「恐いものの存在」を教えられてきたのだ。
官僚は権力の中枢に位置され財源を持ち、利権の構造を作り業界・団体や政治家をもコントロールして行く。大げさではなく日本は、司法も立法もまたマスコミさえも官僚の手のひらに乗せられていている。行政と立法の関係は二重構造のなかで官僚の責任が発生しづらい構造となっている。

明治維新から150年におよぶ官僚主導・一極集中・中央主権国家の歴史のなかで
官僚は情報を支配し、許認可という規制で国民を縛り、たとえて言うならば日本株式会社の代表役員として国民を管理し続けているのだ。
現在では管理者としての自負も薄れ、国民のために物事を善悪で判断する精神構造など持ち併せず、ただ省庁の組織を拡大して財源を多く確保するものが優秀な官僚と評価される。
この官僚の姿が、そして官僚を創り出すための教育のありかたが社会全体に蔓延しあらゆる問題を発生させているとするならば、ここにメスを入れて官僚支配構造を根底から変えてければならないはずだ。

自分の意見を言えない若者

官僚のみならず、日本社会では個人よりも組織を選ばざるを得ないことが多くの場面で起こる。
そして、知らずしらずうちに日本人は自分の意見を言わなくなり指示を待つ人間に育てられてしまう。
それは家庭のなかから始まり、学校でも社会人となり企業のなかにおいても組織に沿った発言と行動が求められていく。
大事の問題点なので少し詳しく説明しておこうと思う。

  1. 家庭では上下関係のなかで親の言うことを聞くように強制され、場合によっては無視をして(ネグレクト)子供の意見を封じ込めてしまう。
  2. 学校では人と違う行動や発言をするといじめに合い、時には教師が特定の生徒をいじめの対象に仕向けていく。
  3. また、日本の教育の現場は教師の体罰が多くみられ、治外法権とも言える世界で数多くの子供たちが犠牲になりP・T・S・D(心的外傷後ストレス障害)を持たされているかを知らなければならない。
  4. さらに、学校でいじめを受けた子供に対して親が、「お前も悪いんじゃないのか!」という一言で行き場を失った子供を引きこもりへ向かわせてしまう。
  5. そのような教育環境で育った若者は、職場に入っても自分の意見ではなく指示にしたがう行動を基本に、そうでない人たちもじょじょにマニュアルによって管理されることになる。
  6. 実は、働きながらの引きこもりがかなりいることが分かっていて、上司に合わせることはできても自我が心の奥深く沈み込んでしまっているのだ。
  7. このような、引きこもりや自分を表現することが出来なくなった若者は、恋愛が最も苦手で結婚出来ない人が多くなっている。

また、日本人は議論が苦手と言われているが、この様に家庭でも学校でも上下関係が明確に作られているなかではそもそも議論は生まれない。
子供から大人に成長したと判断される基準は、本音と建て前を使い分けても心にわだかまりが残らない人間になったときなのだろう。俗に言う「まだ子供だな、早く大人になれよ!」と言うのはそういう事なのだ。

人材の育成からスタート

だからこそ、自分の意見をハッキリと言い、自分のことは自分で行う日本人を育てて行かなければならない。
こう言うと、当たり前のことだと笑うかもしれないが、心の中では「社会のなかにおいて長いものには巻かれずに生きていけるのか?」と疑問を持つ人が多いはずだ。

まさに、きれい事をいって実際には強い者に従う生き方が、官僚国家日本の弊害が蔓延している証拠ではないか。
しかしそもそも日本の庶民文化には沢山の知恵と教えがあり、何よりもお互いに助け合う互助の精神や、男は女・子供・弱者を助ける勇気、そして善と悪を判断する姿勢があったのだから、明確な方向性を示すリーダーと納得出来る具体的な政策があれば、日本が現在のままで決していいとは思っていない人々と共に、新しい流れを創り出すことが出来ると信じている。

個人の自由がなければ哲学は生まれないし、平等が感じられない時代に正義は生まれないのです。そして、そのために自立した人材が必要であるのならば、やはり人材を育成する事から始めていかなければならないのだ。
本当にやらなければならないことが沢山ある。時には自信を失いかけることもあるかもしれない、でも私心を持たず「真理を求めれば必ず道は開ける」そう信じて役割を果たしていきたいと考えている。
すべての人と出逢いに感謝して、目標に向かって一歩一歩前に進んでいくために。

2/JUN/05 田中 甲