プーケットの空港を飛び立ってから2時間の後には、すでにバンコックのホテルに到着していた。部屋に入りシャワーを浴びようとしているときに、電話のベルが鳴ったのだった。
電話はプーケットの視察をアテンドしてくれた私の義兄からで、「きのえちゃん(私の本名)テレビをつけて!プーケットで地震がまた起きたらしい!」と言うのだ。
慌ててテレビのスイッチを入れると・・・地元のテレビが再発したスマトラ沖の地震の報道がされているではないか。
つい先ほどまでいた場所は、津波の危険から身を守ろうと山に向かって多くの島民が逃げまどっているというのだ。
たぶんプーケットの空港には、観光客が押し寄せていたことだろう・・・。 海岸沿いのレストランの女主人は大丈夫だろうか?
結果、この地震では、プーケットの海岸には津波を起こすことはなかったが、プーケットの南・二アス島に大きな被害を及ぼした。
さらに、その13日後(4月10日)スマトラ沖に再びM6.8の地震が発生したのは記憶に新しいことだろう。今度は、二アス島よりさらに南にあるムンタワイ島(西スマトラ州)付近に被害が起きているのだ。
地球のあちらこちらで天災が発生している!なにか海底活断層が大きな範囲で変化を起こしはじめていると実感したプーケットの視察であった。
日本の首都の危機管理は本当に大丈夫なのかと、心配でならない!
たとえば、落ち込んでいる人に貴方ならばどのように接するだろうか?
「具合はどうですか?」と声を掛けてあげるか、それとも見て見ぬふりをしまうだろうか?
どうも、日本人は遠くでそーっと見守って、気持ちが届くようにしてあげるのが良いと考える人が多いのかもしれない。
しかし、プーケットの観光を楽しんだことのある欧米人は、以前と同じように訪ねて行き、話を聞いたりしながら、節度を持って近くにいることを伝えているように感じられる。
まだ海岸は寂しい状態のとこが多いのだが、来てくれた人たちに、そして寄付に対してのお礼の横断幕がかけてあり、このことも実際に来ないと分からないことの一つだと思う。
駆け足での視察を終え、空港に向かう途中の信号待ちで、トラックの荷台に乗っている若者達と1~2メートルの距離に近づく状況がうまれた。
ドライバーは、「瓦礫の片付けを仕事にしているミャンマーからの作業員」だと教えてくれ、災害に遭ってもタイ・プーケットの経済の優位さを示すのだが・・・しかし私には、自分の環境を卑下するところなど微塵も感じさせない彼らの笑顔に「力」をもらう思いがした。
二度と会うことのないであろう彼らの「笑顔」が今でも強く記憶され、「忘れる事の出来ない場面」となったのだった。

以前よりスマトラ沖大地震・津波被害の実態を自分の目で確認して、災害に対する想像力と対応策を身につけておきたいと視察の機会を窺っていた。
しかし、すぐに行動が取れなかった一番の理由は、この規模の地震の後には必ず余震が伴うことを聞いていたからだった。
それでも自らの「運」を信じて、行動を決意し3月28日タイはバンコックからプーケットの空港に到着。
趣旨を話し車をチャーターして島の西海岸の被害状況をみてまわる。
運転手が、被害の大きかったポイントに車をとめては説明をしてくれる。「ここに、500人の遺体が集まっていた」と何もなくなった海岸を指さす。
自然の前にいかに人間に力が小さく、津波の破壊力にたいして不可抗力であったか・・・ここにきて観てよく理解ができた。
さらに、kamaraビーチの壊れたレストランで営業を再開した経営者は、私に津波の状況を必死に説明してくれた。
「あなたの家族に幸せが戻るように」と言葉をかけて、まだ話続けようとするおかみさんの肩に手をまわして頷き、決して忘れない事を伝えて別れてきた。