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	<title>こう！と決めたら</title>
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	<description>こう！と決めたら田中甲</description>
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		<title>視察の直後にスマトラ沖地震が！　　その３</title>
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		<pubDate>Wed, 27 Apr 2005 15:52:45 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[プーケットの空港を飛び立ってから２時間の後には、すでにバンコックのホテルに到着していた。部屋に入りシャワーを浴びようとしているときに、電話のベルが鳴ったのだった。
電話はプーケットの視察をアテンドしてくれた私の義兄からで、「きのえちゃん（私の本名）テレビをつけて！プーケットで地震がまた起きたらしい！」と言うのだ。
慌ててテレビのスイッチを入れると・・・地元のテレビが再発したスマトラ沖の地震の報道がされているではないか。
つい先ほどまでいた場所は、津波の危険から身を守ろうと山に向かって多くの島民が逃げまどっているというのだ。
たぶんプーケットの空港には、観光客が押し寄せていたことだろう・・・。 海岸沿いのレストランの女主人は大丈夫だろうか？
結果、この地震では、プーケットの海岸には津波を起こすことはなかったが、プーケットの南・二アス島に大きな被害を及ぼした。
さらに、その１３日後（４月１０日）スマトラ沖に再びM６．８の地震が発生したのは記憶に新しいことだろう。今度は、二アス島よりさらに南にあるムンタワイ島（西スマトラ州）付近に被害が起きているのだ。
地球のあちらこちらで天災が発生している！なにか海底活断層が大きな範囲で変化を起こしはじめていると実感したプーケットの視察であった。
日本の首都の危機管理は本当に大丈夫なのかと、心配でならない！
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		<title>視察直後にスマトラ沖地震が！　　その２</title>
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		<pubDate>Sat, 09 Apr 2005 15:51:14 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[たとえば、落ち込んでいる人に貴方ならばどのように接するだろうか？
「具合はどうですか？」と声を掛けてあげるか、それとも見て見ぬふりをしまうだろうか？
どうも、日本人は遠くでそーっと見守って、気持ちが届くようにしてあげるのが良いと考える人が多いのかもしれない。
しかし、プーケットの観光を楽しんだことのある欧米人は、以前と同じように訪ねて行き、話を聞いたりしながら、節度を持って近くにいることを伝えているように感じられる。
まだ海岸は寂しい状態のとこが多いのだが、来てくれた人たちに、そして寄付に対してのお礼の横断幕がかけてあり、このことも実際に来ないと分からないことの一つだと思う。
駆け足での視察を終え、空港に向かう途中の信号待ちで、トラックの荷台に乗っている若者達と１～２メートルの距離に近づく状況がうまれた。
ドライバーは、「瓦礫の片付けを仕事にしているミャンマーからの作業員」だと教えてくれ、災害に遭ってもタイ・プーケットの経済の優位さを示すのだが・・・しかし私には、自分の環境を卑下するところなど微塵も感じさせない彼らの笑顔に「力」をもらう思いがした。
二度と会うことのないであろう彼らの「笑顔」が今でも強く記憶され、「忘れる事の出来ない場面」となったのだった。
 
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		<title>視察直後にスマトラ沖地震が！　　その１</title>
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		<pubDate>Thu, 31 Mar 2005 15:49:06 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[以前よりスマトラ沖大地震・津波被害の実態を自分の目で確認して、災害に対する想像力と対応策を身につけておきたいと視察の機会を窺っていた。
しかし、すぐに行動が取れなかった一番の理由は、この規模の地震の後には必ず余震が伴うことを聞いていたからだった。
それでも自らの「運」を信じて、行動を決意し３月２８日タイはバンコックからプーケットの空港に到着。
趣旨を話し車をチャーターして島の西海岸の被害状況をみてまわる。
運転手が、被害の大きかったポイントに車をとめては説明をしてくれる。「ここに、５００人の遺体が集まっていた」と何もなくなった海岸を指さす。
自然の前にいかに人間に力が小さく、津波の破壊力にたいして不可抗力であったか・・・ここにきて観てよく理解ができた。
さらに、kamaraビーチの壊れたレストランで営業を再開した経営者は、私に津波の状況を必死に説明してくれた。
「あなたの家族に幸せが戻るように」と言葉をかけて、まだ話続けようとするおかみさんの肩に手をまわして頷き、決して忘れない事を伝えて別れてきた。
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		<title>千葉県知事選挙</title>
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		<pubDate>Fri, 04 Mar 2005 15:45:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>webmaster</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[　千葉県知事選挙の投票日まであと一週間と迫った。
候補者はご承知だと思うが・・二期目に挑戦する現職の堂本氏と、新人の森田氏・共産党の山田氏の三つ巴の戦いとなっている。が、しかし実質上は堂本氏と森田氏の一騎打ちととらえて良いだろう。
　特筆すべきは、まず県内の各政党を取りまとめた現職の堂本氏に対して、首都圏連合の旗を掲げ東京都知事・神奈川県知事・埼玉県知事そして県内自民党若手（当選回数の少ない）県会議員が一緒になって森田氏を擁立したというかたちに成っている点だろう。
　週明けには報道各社の調査を基にした記事が出される事になるが、多分現職の堂本氏がリードしている状況のなかで森田氏がどこまで追い上げるかと言う表現になって出て来るのではないだろうか。
　しかし、ここで四年前の知事選挙を皆さんに思い出してもらいたい。
候補者は、自民党の岩瀬氏・民主党の若井氏そして無所属での堂本氏と共産党の戦いであり、県民の期待は新しい千葉県を業界・団体また労働組合に依存することのない堂本氏に託すという全国から注目される画期的な結果をだすことになったのだ。
　しかし、しかしである！！
　その期待を堂本氏は裏切ってしまったのだ。
　勝手連と称して堂本候補を応援した人たちはつぎつぎと離れ、四年間で自民党の執行部・公明党・民主党と繋がってしまったのだ。
　その調整型の県知事の姿は選挙の公約を１８０度たがえるもので、堂本氏に期待していた県民の一人として残念でならない。
　また、民主党も四年前には独自候補を擁立していたが、今回は強く批判していた堂本氏を全面的に応援するというのも理解が出来ない。
なぜ、今回こそは！と若井氏で再度挑戦するということにならないのか。
しかし、すでに若井氏は志を捨てて１３区の衆議院議員になってしまっているのではこの様な期待をしても始まらないいのだが・・。
　その点では自民党のなかには、たとえ党内執行部との確執や国と県の判断の違いによるものであろうと、反現職で森田氏の応援をおこなう姿を見せているが、その方が民主党よりスジが通っているのではないだろうか。
　尚、千葉県においては日本共産党推薦・新社会党支持の型は珍しい事ではなく自民党現職と共産党の組織固め・拡大を目的とした結果の判っている知事選挙が多かっただけに、山田氏の立候補がこの選挙大きく影響を及ぼすことはないだろう。
　県内の4ｹ所では県会議員の補欠選挙も合わせて行われるが、いずれにしても13日の投票の結果とともに投票率に注目する必要あると思っている。
なぜならば、有権者の政治離れがさらに進んだと言うことが誰の目から見ても分かる低投票率であるならば、二大政党が地方の首長選挙において正しく機能していない事例として受け止めなければならないからであり、県民の投票に値する姿ではなかったということになるからだ。
　別の表現をするならば有権者のレベルが政治家より高く、政治に期待出来ない事態に陥ったということなのかもしれない。
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		<title>起こせ平成の「草の乱」</title>
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		<pubDate>Sat, 26 Feb 2005 15:37:56 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[あなた映画「草の乱」をもう観ただろうか？
今から１２０年前、政府の横暴に立ち上がった民衆の事件「秩父事件」を映画化したものだが、あまりにも現在の日本に状況が酷似しているのには驚かされる。
　事実を隠蔽してきたためかこの出来事を人が知らない人が多いかもしれない。
　映画は監督やスタッフの努力も伝わってくるのだが、全国の人たちの出資を受けて、また各地からのエキストラが参加して完成したと聞いて作成の自体が現代の草の乱の始まりではないかと感じられた。
　　そしてなによりも、改革をするために行動しなければならないと思っている人には映画からからたくさんのポイントやヒントが示唆されてているのだ。
　この国がおかしいと思っている同士には是非観てもらいたい。
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		<title>傍目八目</title>
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		<pubDate>Tue, 18 Jan 2005 15:36:47 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[離れてみると物事というものはよく見えるという。
　
　国民に二つの選択肢を創り出さなければならないはずの、日本の二大政党化が、　どちらも同じ方向に向かい、競い合うどころか妥協し合い「増税路線」「憲法改正」で二大政党は最早、挙国一致の体をなしている。
　
　どちらか一方を選ぶしかないという状況に立たされている国民にとっては、どっちにしてもこれからの生活がより厳しいものになるのが分かっていながら、国会でおこなわれる表面上の議論に目を奪われている間に、実質的権力者である官僚が国民から人生の選択肢を奪い、将来へ借金を回し、人々に夢を与えない国を作っていってしまうのだ。
　また、国民も「他の人もそうだから仕方がない！」とあきらめてしまっているように思える。いや、すでに慣らされてしまっているのかもしれない。　　　　　　
　残念ではすまされない！
ワシントンから
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		<title>迎春</title>
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		<pubDate>Fri, 31 Dec 2004 15:36:21 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[２００５年が皆様にとって良いお年となりますよう心からお祈り申し上げます。
　　　　　　　　　　　　　　　　　平成１７年新春元旦
　　　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　田中 甲
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		<title>新潟県中越地震　－　被災地甲報　・　その８</title>
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		<pubDate>Fri, 03 Dec 2004 15:36:20 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[東京でも朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。その後、被災者がどんな状況に置かれているか心配で為らない。
居ても立っても居られずに、木曜のよる７時に自宅を出発！
　関越道路を飛ばして、その日のうちに新潟市内に着く。
　明日はボランティア登録をして被災地を廻ってみる事にする。　
１２月３日は朝から晴天。
　新潟市内から長岡・小千谷に向かう間、高速道路の舗装工事が多くの所で行われている。道路ばかりでなく公共物の復旧工事はかなり早いペースで行われ、「さすが土建王国！」面目躍如といったところか。
　小千谷小学校の校庭には仮設住宅の工事が急ピッチで進められている。　　
　私はすぐ近くにある図書館の一室で、新聞に記載された震災関連記事の切り抜きの手伝いをしないながら様子を眺めていた。
　この日から場所によっては、自衛隊の撤収が始まった。がっ・・・・長岡体育館の運動場に設置されていた「練馬の湯」はまだそのままらしい。
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		<title>新潟県中越地震　－ 被災地甲報　・　その７</title>
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		<pubDate>Fri, 26 Nov 2004 15:34:01 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[中越地震における新潟県内の避難者の人数は、２万４５６０人、全壊した住宅４３１棟、半壊９８７棟、一部損壊９５３４棟（１１月７日時点、県・県警発表）であった。　さらに県並びに関係行政は、一戸一戸の破損状況を調べ写真のように調査済みの紙を貼って回っていた。また、調査済みの紙は色分けにより損壊の段階が分かるように、赤・黄色・緑と使い分けられている。
　避難所から帰宅が許され、自宅に戻ると家族総出で家の中の片付けを始めなければならない。写真の藤巻君はとても元気に迎えてくれたが、「明日から学校が始まる！」と嫌がっていた。正直で好感がもてる、そして地元新潟アルビレックスの元気なサポーターだ。
　
　家の中の片付けがはじまると、町中に大量のゴミがあふれだしてくる、県外からの応援により清掃車がこの日から被災地に入っていた。ちなみに私がみた清掃車には練馬区のなまえが記載されている。
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		<title>新潟県中越地震　－　被災地甲報　・　その６　</title>
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		<pubDate>Tue, 16 Nov 2004 15:33:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>webmaster</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[新潟のことを、「日本の中東」と呼ぶことがあるのをご存じだろうか？
戦時中は特に国内における石油地下資源（化石燃料）の拠点として重要視されていたと言うが・・・・長い間地下油田をくみ上げていた事によって、もしかすると地形的な変化がおきてしまっているのではないかと地元の人はおもっていたようだ。　確かに、あまり語られていないが今回の新潟中越地震の山間部における被害の一端には、空洞化してしまった地下構造という要因があったのかもしれない。「・・・・とすると、一部は人災ということか！」
　　円高の状況の中で輸入石油が主力となり今ではあまり認識されていないが、確かに４０年前の新潟の地震ではパイプラインの爆発によって太陽が見えないほど黒煙の覆われたと聞いたことがあった。
　日本海で出会った５０代の男性が辛い思い出を少しだけ話してくれた。
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