活動報告

新潟県中越地震 - 被災地甲報 ・ その7

中越地震における新潟県内の避難者の人数は、2万4560人、全壊した住宅431棟、半壊987棟、一部損壊9534棟(11月7日時点、県・県警発表)であった。 さらに県並びに関係行政は、一戸一戸の破損状況を調べ写真のように調査済みの紙を貼って回っていた。また、調査済みの紙は色分けにより損壊の段階が分かるように、赤・黄色・緑と使い分けられている。

 避難所から帰宅が許され、自宅に戻ると家族総出で家の中の片付けを始めなければならない。写真の藤巻君はとても元気に迎えてくれたが、「明日から学校が始まる!」と嫌がっていた。正直で好感がもてる、そして地元新潟アルビレックスの元気なサポーターだ。
 
 家の中の片付けがはじまると、町中に大量のゴミがあふれだしてくる、県外からの応援により清掃車がこの日から被災地に入っていた。ちなみに私がみた清掃車には練馬区のなまえが記載されている。

2004年11月27日

新潟県中越地震 - 被災地甲報 ・ その6 

新潟のことを、「日本の中東」と呼ぶことがあるのをご存じだろうか?

戦時中は特に国内における石油地下資源(化石燃料)の拠点として重要視されていたと言うが・・・・長い間地下油田をくみ上げていた事によって、もしかすると地形的な変化がおきてしまっているのではないかと地元の人はおもっていたようだ。 確かに、あまり語られていないが今回の新潟中越地震の山間部における被害の一端には、空洞化してしまった地下構造という要因があったのかもしれない。「・・・・とすると、一部は人災ということか!」
  円高の状況の中で輸入石油が主力となり今ではあまり認識されていないが、確かに40年前の新潟の地震ではパイプラインの爆発によって太陽が見えないほど黒煙の覆われたと聞いたことがあった。
 日本海で出会った50代の男性が辛い思い出を少しだけ話してくれた。

2004年11月17日

新潟県中越地震 - 被災地甲報 ・ その5

小千谷市災害ボランティアセンター・本部では、物資・マンパワーともに現時点において困っているという様子ではないようだ。裏返すと全国の方々の被災地に対しての関心が高いということなのだろう。
 ボランティア本部の小さな張り紙とは対照的に建物の入り口には、お金で協力して下さいと募金の看板が大きく立て掛けてある。
しかし、それでも多くの人が県外から「何かお手伝いすることはないか」と集まっている姿に、それによって自らの存在を確認しようとしている「現代の日本人の居場所探しの姿」なのかもしれない、などと考えてしまう。
 いずれにしても、センターの情報収集と情報発信が被災者のためにシッカリと機能することを願ってやまない。

2004年11月15日
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